気・血・水が整えば全ての病は治る | 鍼灸院・運勢相談・医学英語研究会|象山院

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象山院での鍼灸療法
【気・血・水が整えば全ての病は治る】

 アジア地域における医療・医術の起源と医学の発展は遠い昔、東洋の中国医学が世界で最も古い歴史をもつひとつで古代エジプト医学に並ぶほどで有り、その理論の真理も深いのです。
 それは中国の夏の時代(紀元前約1700年以前数百年間)にはすでに始められていたそうです。その長い歴史のあと殷時代・周時代そして春秋時代を乗り越えて前漢時代(紀元前202年~紀元後8年)に創られた中国最古の医学古典書「黄帝内経(素問・霊枢)」には生理・病理・衛生・鍼灸医療の理論や医術それに陰陽五行説を用いて疾病からの真の改善法や回復法が実際に記されています。それを主体とする東洋医学においてはあらゆる病気や症状は、まず人間の身体健康維持の為の本質を形成している気・血・水の流れが乱れることによって現れてくると考えています。
 当院ではまずこの気・血・水の流れを身体全体に正しく調整する八つのツボ(経穴)を取穴して治療を行います。
 治療内容は常に人体内を循環している気・血・水の流れを考慮した古典的療法を行うと同時に末梢神経鍼刺激による中枢への影響を考えた上でホルモン分泌作用・生理作用・免疫作用等への反応も把握した局所療法を併用しております。
 また患者さんの病態によっては儒学の根本経典とされる四書五経のひとつである易経よりヒントを得て治療してゆく場合も有ります。

*使用する針

 使用する鍼(針)はすべて毎回治療時に完全滅菌消毒した個人専用鍼(針)と使い捨て鍼(針)で治療致しますので、ご安心して受療していただけます。
 ご希望により全て使い捨て鍼(針)のみでも治療可能ですが、本数により別途3~500円を申し受ける場合もございます。
 また一般治療費内で所要時間の許す限り、中国針療法、吸い玉療法、灸頭鍼療法、鍼通電療法等も致しますので、お気軽に申してください。


★ 象山院鍼灸院

受療日時 【完全予約制】
ご予約はお電話にて (電話) 072-227-1286
受付時間 ※月曜~土曜日 午前9:00~午後8:00
※日曜、祝日 休院
治療費 <初診料> ¥1,000
<一般> ¥4,000
<子供の小児針> ¥2,000
駐車場 有(予約必要)
お問合せ Email shouzanin@sakai.zaq.ne.jp
★ご回復後も予防の為、月に一度は受療に御来院ください。

象山院

院長の淺田智貴 待合室1

待合室2

当院長の淺田智貴です。


象山鍼灸院治療室1 象山院治療室2

 

※淺田智貴の年表※

1960年
大阪の堺市でごく普通の両親と姉ひとり、いわば理想的?といわれる一姫二太郎の家庭環境で生まれ育ってゆく。数年後、母からあるカトリック幼稚園の園児にさせられたが、奇妙に思えたのは頭に白い帽子の様な物を冠り、白いエプロンを首に掛け、頭の上から黒いマントの様な物を羽織った(失礼…)シスターと称する外人や日本人の先生たちから、いきなり訳の知れない英語と呼ばれるABC…を習わされる。幼児体験としてその教訓がとても不思議に思えた。
1967年
小学生に上がると同時になぜか園長や担任のシスターより、私への英語の特訓を勧められていた母親から大嫌いな英語塾に運命的に通わされる。ただ不思議と英語塾以外の学習塾や習い事の教室には興味が湧かず通塾拒否。
1973年
中学生になって青春の初恋を覚えたのか、星座占いの本を買って気になるクラスの女の子の研究をし始めたことがきっかけで占いに興味を覚えてゆく。バスケットボール部に所属した為、学校帰りは身体がヘトヘトに疲れ、夜の英語塾ではいつも居眠りしながら学習していたので塾の先生に毎回叱られた。
1976年
高校生になって友人達を独学で覚えた星座占法で遊びながら鑑定しているうちに自分自身が益々占いに填ってゆき、その道理に目覚めてきた為、英語塾をさぼり、各種占い研究に没頭していった。高校三年生になってもバスケットボール部に所属していた私はチームの主導権を握りたかったので、監督に背番号4番(キャプテン)を要求し、それを背負った。
1979年
平凡な大学生になったが、填まり込んでいた占いを研究すればするほど不可思議で、さらにその深い道理が曖昧なので、なかなか理解することができず、真に会得することに拘り過ぎたせいなのか、大学での様々な教科の勉学においては一切、手に付かない暮らしを送っていた。
1980年
ご縁があって大阪の玉造に住む鑑定名人こと哲理姓名学の達人でもあり、後の人生の師範でもある有名な霊能鑑定家に出会い、占いの神秘性とその真理を学び悟ってゆく。
1983年
アーチェリー部、サッカー部など、学内でのスポーツクラブ活動やゴルフなどの趣味をこなしながら全てのアカデミックキャンパスでの生活を終え、いよいよ大学生から平凡な社会人となる。大阪府会議員兼大阪府議会議長である吉村鉄雄先生の秘書を務め、我ながら心の中でこっそりと政治の道を志す。
1985年
失恋のショックのあまり元気が無くなり、政治の道を志すことも断念し、秘書を辞め、企業サラリーマンを経験した後、ブルーな気分にもかかわらず、なんとなく心身医療の尊さに吸い込まれていくように西洋医学と東洋医学の高い知識と研究に目覚め、ある医療大学に編入学し、再び大学生になる。一方、この頃より先祖供養のため、四国霊場八十八ヶ所を満願し、さらに縁覚(前世・今世・来世による因縁の由縁に現世の自分があるという世の無常を通して悟ってゆく道)のため、西国霊場三十三ヶ所の巡礼を始めて満願する。
1987年
当大学卒業後、象形文字や甲骨文字の姿を隠した漢字哲学の歴史を辿る目的も兼ねて中国は広州の曁南大学に語学留学した上で、中国哲学(陰陽学・気学・易学・四柱推命など)を学び、また広州中医学院や広州市に有る幾つかの病院で中医学とその医療法を学んでゆく。
1988年
度々の下痢と熱病に悩まされ、心身共に疲れ果ててきたところへ、さらに学内では怖い感染病が流行りだしてきたので中国を去り、香港からオーストラリアへ、そして数か月後にニュージーランドのウエリントンへ渡り、ウエリントン国立病院親交の医療福祉センターのひとつ、ザ・ナチュラルヘルスセンターに勤務。ここから運命的に形式ではなく生活上での本質的な実際の英語学と英会話疎通能力の実践と試練を体得してゆくことになる。この時、初めて幼稚園での訳の知れないABC…から大嫌いな英語塾通いまでの運命を悟った。
1991年
何故か徐々に日本が恋しくなり、というよりも日本食が恋しくなり、それにまた医療従事者として、身体の中で発生している科学的なメカニズムの理論も知りたくなったので、帰国して母大学の大学院へ入学し、免疫学研究科にて寒冷血管反応(血流と皮膚温の変化)の研究を開始。
1993年
この頃からボヘミアン魂のようなものが徐々に湧きあがり、異国の文化や風習、および国民性を学ぶために世界70ヶ国(アジア諸国・北欧諸国・欧米諸国・北アフリカ・オセアニア地方の国々と島々など)以上を目的も無く、ただ目に入る景色や状況や人間社会を感得しながら、ひたすらに当てもなく彷徨いながら、一匹狼の様にバックパッカーで流れ旅をしてゆく放浪癖(放浪病?)が始まる。居住地はウエリントンに置いていたがザ・ナチュラルヘルスセンターでの医療勤務における職務においては長い休暇をもらうことができた。
1995年
健康管理のため、何か運動をしなくては身体が鈍る…と思い、前年より気楽に通い続けていたウエリントンの極真空手道場である日、師範から突然、連続組手(約30名余りとの組手)の苦行体験を指名された(何故… 俺なの?)。修練生らが道場の縁にて真剣な眼差しでずらりと正座して待ち構える一方、私は喘ぎながら死に物狂いで連続組手をしていた。20人目を過ぎたあたりで対戦相手となった重量級のオセアニアチャンピオン、クリス・ガウワーの上段蹴りが私の頭を掠った瞬間、血の気が引くのと同時になぜか急に仏教の八大聖地巡礼を決意。その数か月後、若いころから原始仏教に興味を持ち、学得していた経験から実践体得の道に心境が変化し始めたため、仕事の休暇を取り、インドは仏教聖地の巡礼に旅立つ。
1997年
日本では冬を迎える季節、父の病気の看病をきっかけに、ニュージーランドから帰国し、実家にて象山院を開業。開業にともない日本鍼灸師会及び大阪府&堺市鍼灸師会の会員となる。言葉と習慣が異なるとはいえ、外国での長く平穏な暮らしと日本での狭い仕来りや風習の中での暮らしとのギャップのせいなのか… 浦島太郎の様にちょっとレトロなカルチャーショックというか、メランコリーな気持ちの生活に入ったのでインド式瞑想法で頭の中を清浄し、煩悩を払っていた。いや、まあ… 払っていたことにしましょう ( ´艸`)。
1999年
瞑想(迷走かも?)した結果、心身医療の大切さに気付き大阪の船場(2024年時点での現所在地は大阪の高麗橋)にある日本メンタルヘルス協会に入会し、心理学の初級コースと上級コースを習得して、研究コースではカウンセリング法などを修得してから修了した。
2000年
中国の北京中医医院などで鍼医学を研修するため渡中。同時期に老子や孔子の教えを感得するため、儒教学者や道教師に教訓を受けた後、あの杜子春の様に、浅はかにも「自分も仙人になろう! ( ´艸`) 」と思い、山東省を歴訪し、古代から孔子をはじめ、神仙修行者や道教巡礼者らが精神苦行していた泰山を登頂。
2001年
古代インドのバラモン教徒のように悟りを得ようと試み、まず死後の世界を感知するためエジプトの古代遺跡の数々を歴訪し、その文化と宗教または神話や魂のゆくえ等を学ぶ。ただギザのあの有名な大ピラミッドに入ってからしばらく頭がフラフラしたなぁ。帰国するやいなや、やはり幼い頃の運命的英語の教訓が更に身を結びだしてきたのか、ある恩師からの依頼を受け、大阪府鍼灸師会で臨床英会話教室の開講を始める。それに次ぎ四月より大学や病院、医療専門学校や医療センターなどを運営する学校法人;明治東洋医学院 明治東洋医学院専門学校にて、医学英語講師としての活動を始める。
2003年
四月より、国立大阪南病院附属大阪南看護学校(新名称:独立行政法人;国立病院機構 大阪南医療センター附属大阪南看護学校)の新しい校舎にて、医学英語講師としての活動を始める。
2011年
大阪南看護学校、明治東洋医学院専門学校、明治国際医療大学等にて、外部講師や非常勤講師として活動中。
2017年
大阪府内を中心に新たに医学技術、医療施術、医療看護の専門学校や大学において英語学(医学英語を含む)の非常勤講師として勤務させて頂くことに成りました。四月より大阪府に有る学校法人;行岡保健衛生学園 行岡医学技術専門学校にて、看護第1学科での英語学(医学英語を含む)の非常勤講師として講義開始。
2019年
令和元年を迎え、十月より新たに学校法人;行岡保健衛生学園 大阪行岡医療専門学校にて、臨床検査科等での英語学の非常勤講師として講義開始。明治東洋医学院専門学校では新たに医療概論の非常勤講師として講義開始。
2022年
独立行政法人;国立病院機構 大阪南医療センター附属大阪南看護学校が閉校となり、併設していた社会医療法人;ペガサス大阪南看護学校にて、新しく医学英語の非常勤講師として講義開始。
2024年
過去は政治家を目指し… 今は運命的に英語や医学英語を教える教員として… 一方では占い師として各々クライアント様への人生の歩みを指導しながら… しかし心の中では前世にリコールし… 来世のために宿命と天命を悟り… 一匹狼で四方八方を彷徨いながら… 今世(現世)の旅を放浪中!

 

あれよ あれよと言う間に 人生十分の七以上歩みましたかね?
思えば この歳までほんとに アッという間でしたね~
取り越し苦労ばかりで 人生どうなるか分かりませんね~
人生は喜怒哀楽に四苦八苦 行いは声聞に縁覚に菩薩の三乗ですか~
なぜか近頃 心身ともに疲れますわ ほんと トホホ…

浅田忠

2000年 中国の北京
北京中医学院(現;北京中医大学)の大学院前にて

 

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