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【体得と会得】


★孔子=BC551~479年の中国春秋時代の思想家。

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孔子=BC551~479年の中国春秋時代の思想家。

孔子の思想(儒教)の根底は仁で、それは最高の徳であり慎み深く真心から相手を思いやる温かい心情と良心。そういう人間らしい慈しみだと説き、また他人を愛(慈愛)することでそういう徳が備わってゆくと説かれました。

つまり孔子は他人を思いやる親愛の情を備えたまことの心情で接することのできる慈しみのある人格者を育成することで争いをしない誠実な人間達の平和な社会を築くことを志したのです。

さらに礼(節度ある姿勢、真心のある精神、社会的規範や秩序を守る文化)と学(豊富な知識を習得しながらその本質を悟ること、努力や実践を通して徳を身につけてゆくこと)と仁徳を身に備えることによって道徳的に正しい行為のできる理想的な人間となる君子を育成してゆくことに専念しました。そういう君子は自分の才能のないのを気にして努力するが、人が自分を知ってくれないのを気にしないといいます。

それでそのように礼と学と仁徳を備えた君子達が天下を治めれば徳治主義の政治が確立し乱れた世は必ず治まり平和な社会が実現すると信念を持ち弟子達を指導してゆかれました。

また当時の良心的な政治家達にも自分の理念に少しでも耳を傾けてもらおうと低い姿勢で相当努力されたのですが結局、受け入れてもらえず高慢で私欲の強い当時の黄帝や大臣や政治家たちに迫害され、徳治主義社会を実現させる事はできず約三千人の弟子達をはじめ数多くの民衆に愛しまれながら七十三歳にして静かに波瀾に富んだその生涯を閉じられたのです。仁という最も貴き徳の大切さを後世の人々に残して・・・。

写真は当時の易経・詩経・書経・春秋・礼記は勿論、文芸にも優れた七十二人の弟子達が石座に腰をかけて教えを説く孔子の言葉に静かに耳を傾ける様子を再現させています。孔子の近くにひざまずき茶色の衣装を着た人が孔門の十哲(学徳の最も優れた十人の高弟)の弟子のひとりで孔子が最愛していた顔回です。顔回は人には話せない数々の悲痛な深い苦しみをたくさん背負いながらも礼と学徳に専念し、生きる喜びを味わっていたと伝えられています。

また小さな竹網にわずか一杯のご飯と小さな瓢箪一杯の汁という当時の一般庶民から観察しても余りにも貧しくとても耐えれそうにない毎日の生活の中でも仁道に生きることに心がけていて、正に人間らしい真実の生き方を知っていたと語り告がれています。顔回がそういう心地に到達できたのはきっと、立ちはだかるひとつひとつの深い苦しみを辛抱強く乗り越え克服していったからこそだと想います。

しかしながらわずか三十二歳という若さで顔回はこの世を去ってしまったので、葬儀のときにはいつも冷静沈着であったはずの孔子もその時だけは周囲に響き渡るほどに号泣したと伝えられています。そのほかに仲弓、子貢、冉有、季路、子遊、子夏らが前列で聴講しています。

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中国は山東省の曲卓にある孔子家一族の旧屋敷と広大な山林敷地
(現在は中国政府の管理下に治められている
中国は山東省の曲卓にある儒教の開祖、孔子の墓前に

★「放浪の旅で感得したこと:中国編」

☆今世、自分の歩むべき道を感知したい人は是非中国へ!

和光同塵(その光を和らげ、その塵に同ず)。これは中国の思想家、老子(BC4~5世紀半頃に存在?)による思想の言葉のひとつです。自分の智徳や知性というような光を和らげ隠して俗世間の中で従うこと、または溶け込んで暮らしてゆくことの喩えです。

老子は「人の心が汚れ世間が乱れるのは、人はあまりにも知識を求めすぎるからだ」と説き自我(出来る限りの愛と慈悲を人々に与えたいとか、多くの学問や教養を身に付け知性を磨きたいとか、磨かねばならない等をも含む)を捨て政治・経済のゆくえや人々の思想または教育や法律などといった人間社会にとらわれて議論や意見をするようなことに拘らず、ただあるがままに無為自然の道理に従い、自己の豊富な知識や優れた才能を表に出して世間を渡るのではなくて、そういったものを隠しながら生活することこそ陰徳であり上徳(自ら得た徳は徳として意識しないこと)であると説いています。

つまり「為すなくして為さざるなし」であり、民衆の社会に溶け込んで暮らすときには本当に助けを求めて苦しんでいる多くの人々に出会うだろうから、そのときこそはその上徳から現れる自分の智慧と能力を発揮し、ひっそりと密かに陰であらゆる苦しみを持つ人々を救ってあげられるという静かな生活の中にこそ、真実の人間の生き方があると教え、人間にとって最も大切なのだと説かれました。

孔子の言葉がまとめられた論語の中での教訓は礼と学と仁徳を備えた君子をたくさん育成しそういう君子達に国を任せればきっと天下は静まるだろうし平和な社会を築くことができる徳治主義の理念を試みているのに対し、老子は視野を広め慈愛のある寛大な気持ちを備える為とはいえ、学問による高等教育思想や礼節を守り道徳の実践を行うことなど無用なことであると説いています。

孔子が徳で治める人間社会を目指したのに対し、老子はあくまでも隠れた陰徳を人々に求めていたようです。老子の考えの中ではおそらくたとえ礼と学と仁徳を備えた智慧ある者が育成されようとも地位欲・名誉欲・財産欲は勿論、人から愛されたいというような欲までも完全に捨て去りさらに優遇や見返りを望まない修行者でないかぎり、ひとたびその智者の名が世間に大きく広まるとその智者はもはや真の君子にはなれないだろうし、たとえ高い人徳があるといえども多くの民衆から親しまれ愛されることに喜びと楽しみを抱き続けることへ執着するだけのただの博愛主義者や八方美人というような人格者にしか成りえないのだという様な人間の本質を誰よりも鋭く見抜いた思慮深い悟りを得ていたように想います。

お釈迦様は求不得苦(いくら努力しても、求めても欲しいものが得られない苦しみ)や五陰盛苦(肉体と精神に執着しすぎることから生ずる苦しみで色=肉体、受=周囲の刺激によって揺り動かされる感性、想=心に思い浮かぶ状況、行=行為や行動、識=経験や知識から解かる識別などにとらわれている)などによってもがき苦しんでいる人間たちの様子を観て煩悩の火が点いてうめきさ迷っていると語られました。

そのような人は愚かで悲しいということです。浮生、夢の若しです(はかないこの人生というものはまるで夢のようなものです)

地位や名誉を得てゆくことや世間の人気者になることはけっして悪いことではありませんがそれより、人に知られなくても和光同塵や仁愛の精神であの顔回のように生き抜くことのほうがどれほど貴く慈しみが有り、天界の神仏から真に親しまれ喜ばれる人間になれるであろうかという尊い教えを昔の真の聖者たちは今でも現代社会の私達に教えてくれている様に思います。

たえず煩悩に迷わされることなくしっかりと心眼を見開けば人は必ず真理の言葉の真相を胸でしっかり抱きかかえることができると思います。そしてひとりひとりが日々忍耐強く懸命に他人のために仁徳や陰徳を重ねられるように努力し実行してくれれば、その熱意と行動はきっと後生の人々にも受け継がれてゆくはずです。何世紀後に到るやも知れませんが和光同塵の行為にも心がける沢山の陰の仁徳者で満たされる平和で慈しみのある人間社会が築かれている様、望みたいものです。

p11.jpg 中国は山東省にある泰山(1545m)の登山中、龍門前にて
(孔子をはじめ昔から儒教・道教を問わず神仙宗教者たちによって
仙人修行が積まれてきた神霊なる聖地でもある)
scan-3-2.jpg 中国はウルムチ・トルファンより離れて天山山脈の広がる南山牧場にて遊牧民カザフ族のパオを背景に

★「放浪の旅で感得したこと:エジプト編」

☆宇宙の真理を体得し自分自身の魂にふれてみたい人は是非エジプトへ!

BC3千年頃から古代エジプトでは人が死ぬと人工的にミイラにされたことは殆ど誰でも良く知っていることだと思われますがミイラにされるときに大脳をはじめほとんど全ての臓腑は取り除かれたのです。

しかし心臓だけは取り除かれることはありませんでした。

それは当時の人々には神々の存在は勿論、オシリス信仰の崇拝に於いて人間は死後、あの世で聖なる審判員たちに地球上で生活していた時の罪の裁きを受ける死者の審判の場で自分の罪の許しを請願する時に善行の数々を示す象徴として自分の心臓(=心)を見せなければならないと説かれていたからです。

そしてあらかじめ聖なる審判員たちに記録されていた悪行の数々の真偽を問われ、自分の罪の重さを認識させられたあと、山犬神たちによって聖なる審判後の自分の心臓が天秤(はかり)に掛けられるのです。それで対象物になる正義の羽(はやぶさ神の羽)よりも軽ければ天国へ、重ければ地獄落ちの判定が言い渡されると信じられていました。

写真はその状況を表わしたものです。

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なんとなく魂が宿っている様なこのスフィンクスは確かに数千年の人間の歴史を観て来ている!

★放浪の旅で感得したこと:ニュージーランド編

☆日本の独特な合理的価値観を捨て本当の自分を知りたい人は是非ニュージーランドへ!

この国で私が感得したことは、他の白人中心社会の国々と比較して全般的に人々の人間性が素朴であり、かつ私欲を満足させなくても生き甲斐を十分に感じられている人が多いように感じ取れました。それは隣人同士が先進国または高度経済発展途上成長国に住む国民に比べてはるかに競い合いが少ないということかもしれません。


初めてニュージーランドに入国し生活を始めた若い頃
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ウエリントンの素朴な住宅地域
p14.jpg 風の町、ウエリントン市の経済中心部

日本を含めて多くの国々の社会では家柄や学歴それに職種などといったことに価値観を置いて、または拘って生きている人が多いように思いますが、ここニュージーランドという国ではそういったことが人々の意識の中にほとんど見受けられませんでした。

地位獲得や名誉取得といった拘りのないあるがままの自分自身の尊重をモットーとし、それでいて自然を汚さず風土を尊び人間の素朴さを大切に持ち備えた国民社会、それがニュージーランドだと私は思います。

人生思い道理にならない人、または偏見だらけの価値観にサヨナラし過去を真っ白にしてみたい人は一度ニュージーランドでしばらく生活してみてはいかがでしょう?きっと“な~んだ!つまらない浮世のことで葛藤していたな~”なんて様に心の辛苦を拭い去ることができるだろうし、ONLY ONEとしての自分に自信がついて堂々と人生を歩むことができる様になるでしょう。

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1989年9月 ニュージーランドの森林歩きにて
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クイーンズタウンのワカティプ湖

★放浪の旅で感得したこと:インド編

☆心のあらゆる苦しみを取り除きたい人は是非インドへ!

生老病死・八正道・四苦八苦・中道といえば、仏陀または釈尊ことあの尊いお釈迦様の名言です。

私は巡礼目的を主にインドを旅しました。季節は11月から4月まで、日本でいうと冬から春でしたが、か細い私の様な者にとってはインドでの生活は毎日足がもつれるほど暑く苦しい夏でした。いつもペットボトルの水を二つ持ち歩きながら仏教の聖地を巡礼していたのを覚えています。

お釈迦様は老いること、病気になること、死に行くことは苦であると名言したにもかかわらず、生まれてくることさえも苦であると言い残されました。

けっして自分自身が望んでいなかった容姿や身体で、または望んでいなかった国民で、または望んでいなかった社会状況や家庭環境で「これでも生きてゆかねばならないのか!」とある日、苦闘された方々は多いのではないでしょうか?このことが生まれてくることの苦しみなのですが、これらを解決するにはインドの仏教聖地巡礼に来ていろんな人や物を観て感得してゆくしかないと私は感じました。
ひとり旅でも誰か信頼のおける人と一緒にでも構いませんので一度インドで短期生活し、しばらくインド社会を観察してみれば日本社会でなどの苦しみはきっと解決されるはずです。

お釈迦様はある日、ある池の辺で泥沼から這い上がって見事、美しく綺麗に咲き誇る蓮の花を観て、弟子や聞く耳のある一般の人々たちにあるひとつの喩えをされたそうです。この世の社会はあまりにも煩悩が多く無明な人々(知識が少なく知恵が薄い無智さ、視野が狭くて心中で迷う、それでいて無常を知らない者)が多く住む薄汚いこの泥沼の様であるけれども賢者は真理に目覚め心身の精進(努力)と修行を積んで煩悩(貪り・怒り・愚かさといった心のけがれ)を断ち切り魂を清めて洗練させ向上し、あの蓮の花の様に身も心も立派に美しく咲き誇らなければならないと主張されたそうです。

お釈迦様はさらに人間のかざりの姿をも観られたのだと思います。かざりは人の心をほろぼすものであって、ほころびこそが実は喜びであると感じられておられたのだと思います。かざりを捨てほころびを持てばどんな人でも苦しみに耐えた後は必ず喜びを味わえることに気付き人生にまた夢と希望が持てると思います。

現代の世の中には苦しみが起こるとそれに耐え抜くこともせずに「ああ、もう駄目だ!人生おしまいだ!」といって投げやりになったり、自ら命を落としてしまう人が多くなりましたが、それはとんでもないさらなる苦しみが深まる暗闇の世への旅立ちなのです。それは苦しみからの解放ではなく、すさまじく長~い年月の深刻な苦しみへの突入なのです。どんな苦しみがあろうとも時が経てば必ず解決し、やがてひとつの俄かな喜びから甘美へと変化してゆくのに・・・みんなそのことを知らない様です。

そんなときはしばらくインドの仏教聖地を旅すればきっとすぐにでも解決するでしょう。初年「人生は苦である!」と言ったお釈迦様は晩年「人生は甘美である!」と名言された様に・・・。

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仏教の四大聖地のひとつ、 インドのサルナートにあるムルガンダ・クチ寺院の境内にて(ブッダことお釈迦様が真理の悟りを得たあと、初めてお説法をした場所)

【お釈迦様の教え】

八正道とは、仏教的には色々と専門的意訳がありますが、わかり易く言えば私欲や自我を捨て心を正しくし、社会に迷惑がかからないように正しい振る舞いをし、それでいて世の中を冷静に観て判断することだと私は思います。

四苦八苦とは生老病死に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えたものです。

愛別離苦とは親、兄弟、姉妹、夫、妻、子供それに恋人や親友など愛する者たちともいつかは必ず離別や死別を向かえなければならない苦しみです。

怨憎会苦とは会社や学校などで気に入らなくて会いたくない者たちとも、仕方なく会わなければならない苦しみです。

求不得苦とは「あれがほしい!これがほしい!」といくら願っていても金銭的または地位的または資格的理由などによってどうしても得ることができないという苦しみです。

五陰盛苦とは色受想行識といって肉体と精神に執着しすぎることから纏わる苦しみや目・耳・鼻・口・舌といったような五感によって見てはならないことを見てしまう、聞いてはならないことを聞いてしまったなどという苦しみと、頭が痛い、息が苦しい、足が重い、身体が思うように動かない、食べられないといったような五臓六腑の疾病や五体不満足の苦しみです。

中道とは「有に偏らず空に偏らず」など、いろいろと難しい専門的解釈はありますが簡単に言えば何事にも偏らず、執着せず、とらわれない精神を持つことなのです。宇宙も世間も常に変化して時は移り変わります。我々人間はそんな無常の世に住んでいるのです。無常の世での浮世はやがてすべて滅び去るのです。

中道の教えとは、美しい琴の音を出す為には琴の弦を張りすぎることもなく緩めすぎることもないのと同じ様に、すべての物事の考え方や行為に対して度(程度)を過ぎてもいけないが、逆に度(程度)に至ろうとしないのもまたいけないという教えなのです。
たとえば喜怒哀楽などといった人間の感情にかたより過ぎたり、衣食住や物質の欲求に執着したり、哲学的思想・科学的理論・宗教的観念・学問的知識などから来る理屈にとらわれ過ぎたり、時には常識観念・道徳心・正義感・愛情感・人情感などという気持ちの意識にさえ偏りや執着やとらわれを抱くことは無明(無智、迷い、煩悩の中にいる状態)なことであると教えているのです。

中道の精神で暮らしてゆかないかぎり苦しみから離れることはけっして出来ないし、輪廻転生(前世・今世・来世)を超越することも無論出来ないということです。

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★放浪の旅で感得したこと:デンマーク編

☆純粋な初心に帰って人から好かれる様になりたい人は是非デンマークへ!

アンデルセン童話といえばデンマーク!なかでも、「人魚姫」は有名です。 子供の頃から漫画とはいえ、人魚姫の様な女性に憧れていた男性は私だけではないように思うのですが・・・。

グリム兄弟の「白雪姫」や「赤ずきん」の舞台となったドイツの縁の地をバックパッカーで訪ね歩きをした後、童話の最終地点デンマークのコペンハーゲンにある人魚姫の銅像を前に雪降る寒波の中、じっくりと何時間も見つめていたのは私ぐらいなものでしょうか? 背景が近代化しすぎて人魚姫にはちょっと悲哀で切ない現代風景になっているのですがそれがまたジ~ンとくるのでしょうか、観光客が絶え間なく訪れています。

スウェーデンに入ってしまうといっぺんに、白人としてのプライド意識の高い人々が多くなるため差別意識も高くなり我々東洋人はなんとなく遠慮がちに町を歩かないと、ワイワイ、ガヤガヤ、ムシャムシャとマナーの悪い態度で街中を歩くと毛嫌いされる雰囲気が漂いますがその点、オランダ人もそうですがデンマーク人も一般的に優しくて親切で少々のマナーの悪さには許容性が有り寛大性が高い人々が多いのです。

「醜いあひるの子」の様な童話の影響があるのでしょうか?この国では人への労わりを大切にすることを気付かされました。

アンデルセンは自分が醜い顔をしていることから劣等感を持ちまた人々からは差別を受けていると感じていたようです。でもアンデルセンことアナスンは本来の人間のあるべき姿、人間の心の美しさと広さを重要視したかったようです。

どこか人間社会の淋しさ、悲しさの溢れるアンデルセン童話には我々人間の心の有り方そのものを訴えているように感じました。そのことが慈悲愛を忘れた人間社会の状況に対して悲恋に満ちた人魚姫銅像の顔の表情の中にも隠されているように感じ取れます。

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コペンハーゲンのある港の海岸でひとり淋しげな表情を浮かべている人魚姫、何か私達人間の心に問いかけている様な気がします。

★放浪の旅で感得したこと:ルーマニア編

☆自分は貧乏で恵まれていないと感じておられる日本人は是非ルーマニアへ!

ルーマニアといえば吸血鬼ドラキュラの舞台となったブラショフのブラン城や近代では1989年12月、大多数の国民デモが引き金となって引き起こされたルーマニア革命によって革命軍と国民に処刑された独裁政治家のチャウシェスク大統領というのが脳裏に浮かぶのではないでしょうか?

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ブラショフのブラン城

ルーマニアは今でも世界の中では貧しい国(革命前後~2005年に至り)のひとつなので生活は大変なのですが、基本的にラテン系民族なのでイタリア人やスペイン人に似た持ち前の明るい性質を持ち備えた気さくな国民性があるのです。人なつっこい性格でよく笑いよくしゃべる人々が多いのです。

彼らの表情を観ていて、仕事が少なく世界の中でも深刻化されている経済状況やサバイバル精神の中で生き抜かなければならないという心理状態というものをそれほど感じ取れなかった自分が不思議なぐらいでした。

ハンガリーのブダペストからブカレスト行きの汽車の中で一夜を共にしたルーマニア人たちからもブカレスト市内で友達になったタクシードライバーの会社の人たちからも「日本人はいいねぇ~、どんな仕事でもあって・・・なんでも食べるものがあって・・・みんなお金持ちで・・・幸せだね」なんて様なことを言われて、「そんなことはないのになぁ~」と心の中で思っていたのですが、みんなの食べ物を観察しているとなんともお粗末で、ブダペスト市内のお店で買ったカップラーメンや清涼飲料水を持ち備えて旅をしていた私がはじめて「インスタント食品が食べられて濁りのない水が飲める自分は贅沢なのかぁ~?」なんて感じてしまったのを覚えています。

今、日本の経済不況といわれている社会状況の中で「仕事がない!」「食べてゆけない!」「俺は苦しい、私は不幸せだ!」といいながらも雨が漏らないちゃんとした家が有り、食べる物が豊富にあるという日本国民は一般のルーマニア国民やネパール国民から言わせればとても有り難いことなのだということを痛感しなければならないように思います。

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独裁政治家チャウシェスク大統領とその妻が住家にしていたとてつもなく巨大で贅沢な元チャウシェスク宮殿
(現在は国会議事堂として使用されている)


★放浪の旅で感得したこと:オランダ編

☆人に好かれたい素性やマナーを学ぶには是非オランダへ!

ヨーロッパの国々でやはり素性の良さと他人への労わり、そして優しさを強く感じさせる国民は私の場合、多くはオランダ人でした。どことなく遠慮がちで周りの状況をよく理解し、周りの人々に迷惑がかからないように差し支えた振る舞いを保ち、語弊のないように言動する素性が純粋のオランダ人には染み付いている様です。

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アムステルダム近郊のチーズ工場にて

日本人も外国に行けば礼儀正しく秩序をよく守り、遠慮がちで相手に迷惑をかけないように振舞うという点に於いては唯一であると日本人観光客を扱う世界中のあちらこちらの観光会社のスタッフや海外で知り合った人々がよく口にしてくれます。

しかし国内ではどうでしょうか?

電車内や街中では最近ではそれが欠けてきている人が増えているように感じます。むしろ、全体的にイギリス人、オランダ人、北欧系の人々達のほうがモラルやマナーという点に於いては、はるかに優れているように思います。

オランダ人を観て、とにかく驚かされるのは体の大きさと背の高さです。しかしながらその大きくて威圧感のある身体とは裏腹に、とても遠慮がちで他人を優先させる寛大性を持ち備えている人が多いのです。

多数のオランダ人は小さな家に住んでいます。勿論、国の面積にしては国民が多くて土地が高価ということがあるのですが、それにしても家は小さすぎる様に感じました。それにベッドや階段までもが小さくて狭いのです。体の小さいラテン系の人々や東洋人でさえ、小さく狭く感じるのに彼らにとってはとても窮屈そうで正直、お気の毒にさえ思いました。

でもあのオランダ人独特の寛大性と包み込むような優しさ、そして親切さ、穏やかさはどうして身に備わったのでしょうか?
私はオランダに行ってオランダ人の女性も男性もがこんなに心温かい国民であることを初めて知りました。真の優しさ、穏やかさを感じられる人々は世界中に沢山いますが、オランダ人はだいたいそういった方々が本当に多いのです。特に純粋のオランダ人には…。また、人の悲哀や辛苦の話をよく親身になって心から聞いてくれた人が非常に多かった様に思います。

真の優しさ、穏やかさを感じてみたい人は是非、オランダを旅してみてください。こういう寛大性と優しさに満ち溢れた人間社会で仕事に従事出来ればいいな~と痛感するかも知れませんよ。

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鳩と戯れるひとりぼっち
オランダのアムステルダムにて


★放浪の旅で感得したこと:ネパール編

☆真の精神修行をしてみたい人は是非ネパールへ!

私はインド北部のクシナガルでの仏教巡礼を終えた後、ネパールとの国境でビザを取り、最終の巡礼目的地、お釈迦様がお誕生されたネパールのルンビニへ行きました。

その後はヒマラヤ山脈が一望出来るポカラまで乗合バスとネパール人の運転する乗合自家用車でガタガタ道に揺られながら旅をしたのですが、とにかくインドでもネパールでも外国の観光客を騙しにかかる悪徳商人や悪質なドライバーが多くて、さすがに温厚な私も穏便に話をすることが出来ず激怒することが度重なっていました。

ネパールに入ってもさっそうとバスの切符や乗合車の料金の価格交渉で、揉めるに揉めながら、怒りと不安をいつも心中に抱えて旅をしていたのを思い出します。目的地の行き先を伝え、バスや車に乗る前にしっかり値段交渉をしたにもかかわらず、目的地に到着してから、日本人ということで足元を見られ、「この切符は外国人料金ではなかった」とか「先ほどの料金は1キロ単位の話だ」とか言って、なんだかんだと新たに法外な支払い料金を請求する本当に悪質な人間の多さに驚くのと同時に腹立たしい気持ちが常に、人への不信感を抱かせていました。そんな不正な支払いを断ると、その仲間たちが私を取り囲むという状況でした。そんなことで、乗合バスの観光案内人やその仲間たちと揉めながらの移動には本当に気の休まることなく、身体よりも心が疲れ果てていました。

しかしそんなやっとの思いでポカラに到着し、ヒマラヤ山脈を眼中におさめた瞬間には、それまでの立腹した感情が全て消え去るほど、その絶景に感動を覚えたのを今でもはっきり覚えています。ポカラではラマ教の寺院を訪問し、お勤め修行をしていたのですが、それよりもやはりヒマラヤの絶景を背景に野鳥の鳴き声や囀りを聞きながらトレッキングし、ヒンズー教や仏教の縁が存在する聖なる山々を登るほうが精神面での修行になりました。七千・八千メートル級のダウラギリ山、アンナプルナ山、マチャプチャレ山、マナスル山などを目にしたときには初めて山としてのその雄大で壮大な神秘性を感じました。

私はチトラという地元の青年と一緒にトレッキングしたのですが、まだ十六~七歳という身で数年前に亡くした父の代わりに母や妹たちを自分が捨て身に成って養おうとする自立精神には本当に心を動かされてしまいました。

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青年チトラの手漕ぎボートで

ネパールという国は世界でも最も貧しい国のひとつです。学校へも行けず、学問も十分に習えず、ただひたすらに家族を愛し、家族と共に生き抜く為に命がけで仕事を見つけて働く毎日を送っている青年が沢山います。チトラもそのひとりでした。安ホテルとはいえ、彼らにとっては一泊の宿泊料金が一ヶ月の食糧分というところで寝泊りする私の贅沢な生活習慣が正直申し訳ないように感じました。

私はかつて日本や外国では瞑想をよくしたのですが、それまではほとんど集中できず、瞑想の価値観を見出せませんでした。しかし、ヒマラヤ山脈を背景にここポカラで瞑想した時は初めて言葉では表現できない何か、心の中で…いや魂の奥深くで…それは遠い昔の前世の自分を観察できていた様な気がしました。

瞑想を通して精神修行をしてみたい人には、ここネパールのポカラでの瞑想はあなたに秘められた何かの真実をあなた自身に教えてくれると思いますよ。

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ヒマラヤ山脈を背景に、
ネパールのポカラにて


★放浪の旅で感得したこと:ポーランド編

☆平和を守る愛国心を学びたい人は是非ポーランドへ!

私は1990年代、何度かユーラシア大陸をひとりで放浪していた時、ポーランドも漫遊しました。ポーランドといえば西スラブ系民族の平和を守る愛国心の強さということになるでしょうか。ポーランド人は素性の鋭さを表面に出す人が多いように思います。

私にはかつてニュージーランドでの生活に於いてポーランド人の友人が多かったのですが、どことなく陰りのある人がポーランド人には多かったようにも記憶しています。

ポーランド人は一般的に隣国のロシアやドイツの国民を嫌う人が多いようです。

勿論、ドイツにもロシアにも良い人はたくさんおられるのですが、私がいくらそれを主張したところで素直に聞き入れてくれるポーランド人はほとんどいなかった様に記憶しています。それは、歴史の背景を辿れば仕方のないことかもしれませんがね…。

でも一日も早くそういった感情がお互いの心の中から消失される事を祈りたいものです。

しかしながら、ポーランド人にはどことなく陰りを感じるものの、苦しさや悲しさを癒してくれるという点に於いては情愛を感じました。同じ国民同士で心の絆と繋がりで集う習慣が他国民に比べて特に強いようですが、逆に共感性といった親近感を持たせてくれる優しい素性の有る人々も多かった様に思います。

第一、 第二次世界大戦、そして戦後の苦しく辛い体験を家族、そして友人たち、また国民が一丸となって耐え偲び、それらを乗り越えてきた愛国心の強さと教育が今の若い世代のポーランド人たちの心中にも深く刻み込まれ染み付いているように感じます。

それはまた、ポーランドの歴史上を通した風習から感じ取れるのかもしれません。

今、日本の社会では愛国心をはじめ、人への労わりや慈悲愛や共感性が欠けてきている人が多くなってきているように受けとれる行動や言動が見受けられます。家族を愛し、友人や他人の悲哀や辛苦を心から労わってこそ、真の人間愛が生じ、良い人間社会が築かれ、平和を守る国への愛国心も備わるのかもしれません。

ポーランドという国で、そして多くのポーランド人から私は平和を愛する愛国心の強さを学びました。

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ワルシャワの国立博物館前で
ポーランドのワルシャワにて


★放浪の旅で感得したこと:イギリス編

☆妖精が住む様な自然の精霊を感じてみたい人は是非イギリスへ!

イギリスといえばまず、霧のロンドンで漫遊というのは多くの人が憧れるロマンスかもしれません。イギリス人の多くは自然の精霊や俗に言う幽霊が大好きでその存在を信じている人が多いのです。幽霊が出現する観光名所として、ロンドン塔をはじめ、人里離れたあちらこちらの古風な屋敷があります。昔の貴族の古城なんかでは幽霊屋敷としてプレミアムの付いた館が人気を呼んでいます。地方では映画の撮影に使用される様なフランケンシュタインの館みたいな個人の館も有るのです。

一方、日本からの観光ツアーなどではロンドンに入ってコッツウォルドやオックスフォードを周遊しながら湖水地方やハワースにあるブロンテ姉妹の縁の地“嵐が丘”を巡って最終地点スコットランドのエジンバラへ到着というのが、イギリスの全名所を満喫する一通りの観光コースになっているようですが、私が思うには是非、日数が許されるならこの湖水地方で数週間滞在し森の探索を兼ねたハイキング(Bush Walking)などを楽しまれてはいかがかな~と思います。

世界一美しい森といえばカナダやヨーロッパにも数々有りますが、ニュージーランドの南島に有るミルフォードトラックを南半球で世界一美しい森の筆頭と謳うなら北半球ではやはりこの湖水地方の森が筆頭であると思います。この世に妖精がいるとしたら、それらの存在を本当に感じられそうで、もしかしたら出会えそうなのがここ湖水地方の森なのです。ピーターラビットの著者ビアトリクス・ポターが、この地方であらゆる動物たちに囲まれながら生活しているうちに心が自然と一体化したような…そんな楽しさと安らぎに満ち溢れた気持ちで平穏甘美な日々を送っていたことがよく感じ取れるところです。

あまりにも科学文明開化されてしまった日本の様な国々の都会での現代社会に於いて家ではテレビ、パソコン、携帯電話、町に出ても騒音やギラギラしたネオン街、お店に入っても欲情心を揺りそそぐ様な音楽で人間の魂や体から元来の神秘的能力が消されていっているように思います。いじめ社会、殺人事件、淫欲と強欲におぼれる人間たち、まさにこの世は人間の煩悩に押しつぶされている日々は絶え間なく続行している傾向にあるようです。科学が進歩し、いろんな現象が解るようになったのはすばらしいことですがその反面、地球を汚し、そして人間の感性を科学的理屈や論理で複雑にし、現実性社会にとらわれすぎている様に思います。自らの精霊性が欠如し、そして多くの人々は神秘性を感じ取れなくなり、清らかな心を現実社会の煩悩に埋めてしまっているようにも思います。

今、日本社会の中で心が疲れきってしまっている人、競争に負けてしまった人、人間社会が嫌になってしまっている人などは、ここイギリスの湖水地方を周遊して数日間森歩きをしてみてはいかがでしょう。心が安らぎ元気になるだけでなく、地球上で生きてゆく為の人間の真の価値観、真の理念、真の生き方や知恵を必ずや感じ取れるかもしれませんよ。

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1996年 冬
Tower Bridgeを背景に


★放浪の旅で感得したこと:タヒチ編

☆摩訶不思議な世界で感性を磨いてみたい人は是非タヒチへ!

「天国に一番近い島、ニューカレドニア」「神々が宿る神秘の島、タヒチ、そこは最後の楽園」などと、よく日本の観光旅行会社などで謳い文句を出していたのを思い出し、ニュージーランドで生活していた私は仕事休みを利用しては、単独旅愁で航空チケットを購入してオセアニアに存在する有名な島国を訪問していました。

そんな有る時、訪問先にその最後の楽園とやらを観てきました。確かにあの南国の島国の中で私が一番感動したのはタヒチでした。アメリカ映画のロケ地などでも使用されるように本当に神秘的なところでしたね。有名画家のポール・ゴーギャンが最も愛した島国というのも、なるほど良く感じ取れるところでした。

それまでにオセアニア地方で訪れていた島国とは全く違う独特な神秘的雰囲気を漂わせているのが印象的です。

ただ最後の楽園と謳って良いのか悪いのかは別にして、とにかく毎日、神秘的でかつ神霊的要素の備わった自然を豊富に感じているだけで何とも言えない気分爽快な気持ちの余り眠くなる…摩訶不思議なところでした。現実社会の浮世話や四方山話が全く気にならない異国であった事を覚えています。

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タヒチ島に隣接する島々はどこにでも
ラグーンがいっぱい

こんな素晴らしいところが地球上に有ったんだぁ~と感じたのが飛行機から降り立ち最初にタヒチの大地を踏みしめた時の印象でした。

独特な原始性を有する神秘的な山々に守られるという人々の生活にもかかわらず、タヒチはフランス領ポリネシアに属する小さな島国なので住民は都会的なフランス語を公用語とするのがなんとなくその古式生活と近代的言語がマッチしない感じを受けましたがね…。

島のシンボルとされるオロヘナ山は真さに神の住むところの様で、魂が吸い込まれそうな体感を味わいました。ある日、私は原住民の若くて綺麗なある女性の方にいろんなところを案内してもらいました。中でも一番驚いたことは19世紀の初頭でも神に人間を捧げるための生け贄の儀式!?をしていたという人気の無い淋しい海辺の場所まで案内されたときには身震いしましたがね…。なぜかというと、そのお美しい女性が初めて笑った時に見えた犬歯というか八重歯がまるであの吸血鬼ドラキュラの様に鋭く、またその村の彼女の友人たちの歯先も鋭かったので…(なぜか急に怖くなってしまって…失礼)

近隣の島々の中でもボラボラ島にはエメラルドグリーンが広めくラグーンで気分爽快です。

その他モーレア島など、太平洋のどこの島にもない独特なタヒチ近隣の島々には守り神ティキ(木彫りの神様人形)を感じ取れるそんな不思議なところでした。

ティキの姿の言い伝え、また語り継がれている神話伝説には人間の生け贄の代役、人間の初代誕生の姿または島の創造主の長男、あるいは宗教的儀式のために造られた象徴とまで、あらゆる説が有るのですがどれも定かでは有りません。

よく「ナポリを見てから死ね」という有名な諺が有りますが、私はナポリと比較した上で、「タヒチを見てから死ね」と諺を変えたくなるようなそんな人間の一生涯でこの美しいタヒチを見ずに死んではもったいないなぁ~と思いましたよ。

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タヒチ島近隣にあるモーレア島にて神聖な山々の中心に有る
ベルベデールの展望台より


 

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